学校も新学期になり、子供は学校生活へ、大人も職場回帰が少しずつ進みつつあります。
新型コロナウイルス感染症が発生してから、社会経済活動は想定外の混乱に直面することになりました。コロナウイルスと共存しながら社会活動を続ける「ウィズコロナ」という言葉も生まれました。
今や病気以上に大きな影響を与えているのが、誤った大量の情報によって繰り返し生み出されるデマや中傷、差別による心理社会的被害です(インフォデミック)。
悪意をもって意図的に生み出される誤情報もあれば、伝言ゲームのような安易な情報伝達の果てに情報が変質してしまう場合もあります。有意無意であれ結果の重大さは変わりません。暴言や暴力に発展して、情報が原因で自殺や殺人など死者も出てしまっています。

東日本大震災時も被災された方々が避難先でいわれのない差別や中傷に苦しめられたように、人間は疫病や自然災害などの個人の努力で解決できない大きな災厄に遭うとその責任を誰かに求めようとします。
生物としての自衛本能から、受け止められない巨大なストレスを回避するために、これは本来自分には関係ないはずだ、と現実を拒否することから始まる行動ですが、それが他者に迷惑をかける中傷や差別などの攻撃行動に形を変えれば社会倫理上許されない問題です。

あなたには自分自身を守るのと同じように、自分に関わる全ての人の社会的、身体的、心理的安全を守る責任があります。
他人に迷惑をかけるかもしれない情報を安易無思慮に発信したり、受け取ったりすることは、そのこと自体が社会全体に多大な迷惑をかけている行為になります。

自分では想定しなかった情報の使われ方、善意のつもりの文書が悪用される場合もあります。犯罪や事故に繋がった場合、「そんなこと考えてもみなかった、自分には関係ない。」では済まされません。あなたも加害者になってしまいます。
いわれのない差別や中傷ほど、被害者になった場合悔しいものはありません。
誰かが嫌な思いをして傷ついた事実は「なかったこと」にはできないのです。

自分が受けるかもしれない理不尽な苦しみに冷静な目を向けられる人は、その加害者になる人間としてのおぞましさを想像できます。
「人間としてどのように振る舞うか」は現代社会においては「自分がどのように情報に向き合い扱うか」という形で最も鋭敏に表現されるようになってきています。
ソーシャルメディアという自由な発言の場がある社会では、その代償として今まで以上に自分の言葉に責任を持つ判断力が個人に強く求められています。
判断するのは自分であって、誰も助けてくれませんし、制止もしてくれません。
判断力を磨いてくれるのは社会を見渡す他者への思いやりです。

誰もが加害者にも被害者にもなり得る自由に意見が述べられる社会ほど、ある意味危険で恐ろしいものはありません。
その矛盾と責任を負って私たちの社会は言論と表現の自由を保っています。
健全な社会では絶えずベクトルの異なる考え方が存在して、お互いに悩むのが普通です。

ヒトでも動物でも子供のいじめは大人たちの振る舞いの模倣から始まります。
大人たちの無思慮な行動が子供たちのいじめの源泉といっても過言ではありません。
自分が思ったことを言葉として発する前に、自分の行動が子供のお手本として真にふさわしいか、私たち大人は今まで以上に真剣に考える必要があります。
子供たちを加害者にも被害者にもしないためにも、私たち大人がインフォデミックに巻き込まれない心構えを持ち続ける良識が求められています。